2019.2.18、「テレビの国会中継」を一部ではあるが見た。
先日から気になっている小川淳也議員の質問と、政権の応答である。
◎「小川議員の質問ポイント」
『私は、いろいろ数字を調べました。統計の中身も調べました。途中からね、なんでこんな数値論争しているかと思うようになった。
なんで「数値論争」で政権ともがいているのかと、途中から思うようになった。
総理、もしも総理が、良い数値を持ってきたらですよ、良い数字はもういいから、それはもうお前たちでやっくれ。
国家に悪い数値はないのか、そこで困っている国民はいないか、そこに社会の矛盾が埋もれていないか、と言う総理だったら。そもそもこんな数値論争は起こっていないのではないか..?。
自分の政策があたかも全て効果があったかのように喧伝し、統計のルールを変えたことの説明も不十分で、そういう総理の姿勢がある限り、国民は救われないし、正しい経済政策は打たれませんよ。
◎「投稿者の感想ポイント-A」
私は現役時代、数字に囲まれた仕事をしてきた。BS・PLの把握作業は日常であり、「企業の有価証券報告書」等の細かな諸計数はすべてが縦横斜めに計数以外の事柄にも関係している。仮に些かの計数相違でもあれば、その原因の徹底究明は勿論であり、それが、その先の危機を知らせる前兆ともなる。企業の日常は財務計数に囲まれており、仮に後日手違いと分かれば、その原因と修正計数とを即発表している。斯様な事はイロハだ。
(国民の家計管理も家庭内ではある意味然りで、日常のやりくりに神経をすりへらしているのが日常である。)
国の財政管理は勿論、通常私達が”数字”を気にするのはそれが危機を知らせる指標となる時だ。この時の数字が信用に値するものでなければ国民の先の展望に?が付く、
そのれは、行く末は危ういと思考するだろうとなる。
「悪い数字」が重要な指標となり、次善の策を講じる必要を政治に知らせるのだ。
政権は正直な数字をしっかりと説明するしかないのではないか..。
斯様な事は企業は勿論、国民一般が心得ている言わば国民の一般常識である。
今の総理の姿勢では、国民は救われないと思料するしかないし、何よりも、正しい経済政策は打ち上げるのは無理では..と、私達は思考するしすないのだろうか..。
◎「投稿者の感想ポイント-B」
経済政策を立案・評価するために、正確な統計を作り活用することが最も重要な基盤であることは論を俟たない。だが、その基盤に多くの問題があることが分かってきた。
統計整備・充実は喫緊の課題であるにも関わらず、小川議員の様な問い方は少ないと思われ、
その多くの議論が、「アベノミクス批判」・「責任追及」・「資料要求」等に集中して、本来の課題と隔たり過ぎてはいないだろうか..。且つこれ等への政権の回答は、極めて曖昧且つ杜撰である。
より重視されるべきは、経済統計が、正確で公正な整備の下での計数となるには如何にすべきか..?、 この点が最重要課題である。
この視点が些か欠けているのではないだろうか..。喫緊の課題であると思料する。
完
以上、現時点での思考と情報のメモ。 2019/2/19 -佐倉/塙-