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2014/10/13

(随筆) 『本を書かなかったソクラテス』

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本を書かなかったソクラテス
     結城啓二郎

 
 話の合う友人たちと、酒など酌み交わしながら、我が国(「この国」ではない)の政治的、経済的な、あるいは社会的、文化的な現状を嘆いたり憤ったりする時、どうしても解決策は、迂遠なようでも「教育改革が肝心だ」という話に収斂してしまいます。

そこで、教師としてのソクラテスについて、少し考えてみようと思います。ソクラテスは著作を残しておりません。没後、弟子のプラトンが師の言行録を残しているにすぎません。お釈迦様もそうですし、孔子も論語を自分で書いたわけではありません。これはいかなる事情によるのでしょうか?

 

ご承知のように、紀元前五、六世紀のギリシャは都市国家(ポリス)の集合体でしたが、ソクラテスが青年たちに教えを説いていたアテナイのポリスは人口二十万人程度だったそうであります(別の本には、五万人くらいだったとありますが、数百年の間に人口が増えて行ったと考えるのが自然でしょうね)。

それはともかく、ま、今の日本でいえば、松本市くらいの大きさですから、わざわざ本を書く必要がなかったのかもしれません。ひょっとすると、ソクラテスはアゴラ(広場)に集まる青年たちとは「おれ、おまえ」の仲だったから、「俺の本読んで勉強しろよな」なんて言うより直接話をして教えるほうが、青年たちのウケもよかったのかもしれませんね。かの悪妻クサンチッペについての愚痴やエピソードなんかも、いずれは結婚することになる青年たちには「チョー面白い話」だったのかも。

あるいは、「自分は何も知らない無知な人間ではあるが、自分が無知であるということだけは知っている」という「無知の知」を標榜していたソクラテスとしては、偉そうに本など書くことは自分の主張と矛盾すると思っていたのかもしれません。

 ところで、ソクラテスは対話によって人を諭してゆく教え方をしていたようです。その教え方は、彼の母親の職業から「産婆法」と呼ばれたりもしますが、こんな具合であります、とプラトンの翻訳を引用してもつまらないので、架空の対話をでっち上げてみます。

 

青年   「なぜ人間は、毎朝、顔を洗うのでしょうか」

ソクラテス「そうだろうか。病気で顔を洗えない老人もいるではないか」

青年   「それはそうです。でも、たいていの人は毎朝、顔を洗います」

ソクラテス「そのとおりだね。しかし、今、君が言ったのはたいていの人の場合であって、人間は毎朝顔を洗う動物だということにはならないよ。ところでスパルタ人も毎朝顔を洗うと思うかね?」

青年   「あの連中もやはり顔は洗うでしょう。それにしても、あの連中のやり方ときたら」

ソクラテス「今、君はあの連中と言ったが、スパルタ人が、皆が皆、同じ考え方をしているわけではないかもしれないよ」

青年   「ちょうど病気で顔を洗えない老人がいるようにですね。どうも私は、人間は、とか、スパルタ人は、とか勝手にひとまとめにして裁断していたようです」

 

ま、こんな具合にソクラテスは、ステレオタイプなものの見かたの誤りと危険性を青年自身に悟らせていたのかもしれません。このソクラテスの姿勢には、生徒自身をして悟らせる点に重きがあるように思えます。

言い換えますと、どんなに知識を生徒の頭に注入してもそれは教育ではない。生徒自身の考え方が深まったり、別の角度から物を考えてみようとしたり、つまり「生徒という人間が良い方向に変わって、初めて教育と言えるのだ」という姿勢ですよね。

 

 さて、こんなふうにソクラテスのことを考えてまいりますと、パウロ・フレイアーというブラジルの労働者教育に生涯を捧げた人物の「バンキング・コンセプト」という概念を思い出します。

彼は、銀行にお金を預けるみたいに生徒の頭に知識を詰め込む教え方を批判しているわけなのですが、その詰め込み式の教え方とは具体的にはこんな具合です。

 

「教師は教え、生徒は教えられる」

「教師はすべてを知っており、生徒は何も知らない」

「考えるのは教師であり、生徒はその考えについて学ぶ」

「教師は話し、生徒はおとなしく耳を傾ける」

「教師は自分の選択を押し付け、生徒はそれに従う」

「教師は学問の権威と、自分の教師としての権威を混同している」

「教師が授業の主体であり、生徒は授業の対象である」

 

どうです、どこかの国の授業とよく似ていませんか?

 ソクラテスの教え方は、まさにこういう授業と対照的ですよね。生徒自身が考え、その考えを教師であるソクラテスが対話を通して修正したり、深めたりしてゆくという「学習者中心の授業」であります。

 ひとりひとりの生徒が授業の中心であり、その生徒が自分で自分の未熟さや誤りに気づくよう対話を進めて行くソクラテス式の授業では、特定の教科書などは使えないでしょうし、そもそもどの生徒にも当てはまるような教科書など書こうとしても書けなかった、というのが、ソクラテスが著作を残さなかった本当の理由なのかもしれません。

 いや、というよりむしろ、ソクラテスは生徒との対話によって、彼自身が思索を深めていったから、つまり生徒から学ぼうとした教師であったからこそ、その道に終わりはなく、その結果、書物を残さなかったのかもしれません。

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